2011年御翼10月号その2

米国で信仰の友らに励まされた新渡戸稲造師

  

 旧5千円札には新渡戸稲造の肖像が描かれていた。5千円札の肖像の左側に、太平洋を中心とした世界地図が描かれていたのは、新渡戸稲造が東京大学の入試の面接で、「われ太平洋の橋とならん」と言ったためである。新渡戸稲造は、東京女子大の初代学長を務めるなど、数々のミッション系大学の創立に関わった。「人はどこか動じないところ、譲れぬところ、断固侵すべからざる信念がなければならない。それを生み出すのは、神との垂直的縦関係であり、その関係性、対話性、交わり性の中に人格は形成される」と、教育家としての新渡戸は、キリスト教の信仰による人格形成を重視していた。  
 「人格」とはラテン語で persona と言い、もともとは演劇の登場人物に一定の役をつける仮面を意味している。そして倫理学で人格は、道徳的価値を担っている人間を指す。家庭や社会の「良心」であるべき心優しい人たちが、人格が育っていないために、正しいことを主張できず、人から利用される人間となっていることが実に多い。新渡戸が言う「人格」とは、人格的神との垂直的関係に樹立される自己の形成である。人はキリストをとおして神と深く交わり、神に自分の魂も身も捧げ尽くして生きる時、世の評価を度外視して、ひたすら示された確信に生きることができるのだ。これが、正しく人格が形成された姿である。「人を相手とせず、天を相手とする」覚悟を持つことで、人は本来の自分が形成される。
 新渡戸が、特に日本人女性の人格教育の必要性を痛感したのは、米国留学中であった。クエーカー派(フレンド派)のキリスト者らと交わりを持った新渡戸は、主婦にいたるまで、信仰によるしっかりとした人格を持っていることに驚く。日本では肩書きや業績のある人には人格者という表現を用いるが、明治の頃、特に女性は「子を産む道具」のように考えられていた。本来の人格とは、知識があるとか、業績があるとは関係なしに、そこにいるだけで、神の真理、神の愛を放つことのできる人たちである。キリスト教の大きなわざの一つは、社会の階級とは全く無関係に、人々の人格を発達させることなのだ。「フレンド」とはイエス様の「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友(フレンド)である」(ヨハネ15:14)という言葉に由来している。このイエスを救い主として受け入れる時に、私たちの人格は形成され、人を助け、家庭や社会を良くして行けるのだ。
 新渡戸稲造は、1900(明治33)年、英文で『武士道』を著わした。クリスチャンの米国人女性と結婚し、帰国、札幌農学校で教えていた頃、長男を生後一週間で失う。その傷をいやそうと、新渡戸は教授を辞め、再び米国に渡る。それは、『武士道』が世に出る十年前のことであった。ある日、新渡戸は、著名なベルギーの法学者ラブレー氏の家で歓待を受けた。二人は、散歩をしながら談笑し、話題は宗教の話になった。新渡戸が日本の教育カリキュラムには宗教教育がないと言った時、ラブレー氏の驚きは大変なものだった。「宗教がないとは、いったいあなたがたは、どのようにして、子孫に道徳教育を授けるのですか」。とても信じられないというふうに氏はそう繰り返した。日本人には精神的バックボーンが無いのかと、西洋人に問いかけられて、答えられなかったのだ。しかし、日本人の道徳意識は極めて高い筈だ…その道徳意識の根幹にあるのは何か?十年にわたるこの心の葛藤を経て、新渡戸は、日本人の道徳意識の根幹をなしているのは武士道であると気付く。日本では子どものころ、善悪の基準を学ぶものが、実は武士道であることに気がついたのだ。そして、そのことを西洋人に知らしめるために英文『武士道』を著した。『武士道』の元になる教えの多くは中国から来た仏教や儒教の教えだと言われている。しかし、善い教えは全て聖書から来ているのだ。徹底した平和主義者だった新渡戸は、1919(大正8)年から八年間、国際連盟事務次長として世界平和のため尽くし、晩年は、日米間の平和実現に全精力を傾注した。1933(昭和8)年秋、新渡戸は軍国主義が台頭する日本の将来を懸念しながら、アメリカの地で天に召されている(享年71歳)。

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